朝を迎えたグルスペンナの町に、一つの噂話が小波のように広まった。
――《闇夜の紅星》団が捕まったらしい。
――何でも、広場の女神様に悪さしているところを、巡回中の警衛兵に見つかったんだって?
――やれやれ。グルスペンナ中を騒がせた盗賊集団も、ついに年貢の納め時ってわけだ。
噂話の第一波が通り過ぎたところで、第二波が訪れる。
――捕まったのは、たった一人だってよ。
―― 一人だぁ? 《闇夜の紅星》団は、五、六人は居るって話だろ?
――仲間から見捨てられたのか。間抜けな盗賊も居たもんだな。同情するよ。
(余計なお世話だっての、こんちくしょう!)
荒々しい漆黒の髪と目を持つ少年フレイスは、町の大通りの石畳を睨みながら胸中で毒づいた。
歩きながら――否、歩かされながら――嫌でも耳に飛び込んでくる周囲のざわめきに顔をしかめる。
町はずれの丘にある警衛隊の牢屋からここまで、ずっと歩き通しだったが、目的地である中央広場はまだ遠い。
フレイスは盗賊である。
一年前から王の城下町グルスペンナを荒らし回っている、盗賊団《闇夜の紅星(カーバンクル)》の一員だ。
それが今では――。
『見ろよ! あいつが間抜けな盗賊だってさ。金の為に命を捨てる馬鹿で野蛮な人種だよ』
沿道からの野次に思わず肩がこわばる。
その様子に、同情の声も上がる。
『あれが盗賊? まだ子供じゃないの』
『十四歳だろうが十五歳だろうが、盗賊は盗賊さ。
捕まったが最後、これから広場で絞首刑だそうだ』
そう――フレイスは囚われの身だった。
縄で後ろ手に縛られ、槍や剣で武装した警衛兵数名に取り囲まれながら、情けなくも連行されている状態だ。
グロリア王国の法では、国民の平均年収にあたる二百アルゲンを越える盗みを犯した者は、その理由に関わらず極刑と決まっている。
法は法、盗賊は盗賊。
十四歳の少年であろうとも罪に対する罰は免れない。
何せ、一年の間に貴族や富豪の屋敷ばかりを狙ったのだから、盗みの総額は銀貨二百枚など軽く超えている……。
(いや、待てよ。仲間は俺を合わせて六人だから、全員で割れば……)
そんな考えても何の役にも立たないことで頭を紛らわせている間に、隊列が止まった。
中央広場だ。
石畳が綺麗に敷かれた円形の広場の真ん中には女神の立ち姿を象った白い石像があり、昨夜まで無かった絞首刑の台がその前にしつらえてあった。
(よりによって、ここだよ……)
フレイスは呻く。
極刑の見せしめに使われる場所は幾つかあるはずだった。
それがよりにもよって女神像の前とは、誰が選んだのか知らないが、笑えない冗談だ。
何を隠そう……この女神像こそ、フレイスが縄を頂戴する羽目になった原因そのものなのである。
ほんの出来心で盗品のネックレスを女神像の首にかけようとしたところを、警衛兵に見つかってしまったのだった……。
運悪く相手が手練れだった為に逃げ切れず、現行犯で捕まった結果、今に至る。
(我ながら間抜けな失態だなぁ)
《闇夜の紅星》の名に傷がつかないと良いのだが。
……いや、もう遅いのか。
まぁ、将来こんな笑い話が残るのも一興だろう。
台の上に跪くように命じられる。
長い巻紙が取り出され、フレイスが過去にどのような罪を犯したのかが論(あげつら)えられ始めた。
――富豪邸および貴族邸への侵入、窃盗、スリ、盗品の転売、警衛兵への公務執行妨害――。
淡々と読み上げられる内容を右から左へと聞き流しながら、フレイスは己の処刑見物に集った者たちを檀上から眺め見た。
(こいつらは――俺たち盗賊を馬鹿にしている)
牢屋から広場までの道のりで散々聞かされた言葉を思い出した。
(盗みは罪だ。……けど、何故、俺たちが命を懸けて罪を犯すのか、こいつらは考えたことも無いんだろう)
……性格がひねくれて、ねじ曲がって、罪を罪とも思わなくなった者――中にはそういう盗賊も居るだろう。
だが、《闇夜の紅星》団は違う。
極刑に値する罪だと知っていて、それでもなお、危険を冒す。
集った野次馬たちは好奇と侮蔑の目をフレイスに向けていた。
盗みを生業とする者の死を望む者が、広場中にひしめいている……。
ふと――一人の少女が目に映る。静かに輝く月光のような銀色の髪と、淡い月夜のような藍色の瞳――。
人でごった返す広場の只中で、少女はたった一人、異なる雰囲気を纏っていた。
満月の光で染めたような柔らかな髪の毛が、頭の左右で長く編まれている。歳はおそらく十四歳前後……フレイスと同じくらいだろうか。
少女は処刑台などには目もくれず、小柄な体躯で人と人の隙間を縫うように歩き続ける。時折、背後を気にするようにしながら。
不意に少女がこちらを向いた。
二人の目が合った、瞬間――。
少女の潤んだ瞳が、
(助けて)
と言葉を発した……ように感じた。
フレイスは戸惑う。
(いやいやいや、状況がおかしいだろう! 助けて欲しいのは俺の方だってば。どう考えても!)
自身の直感を否定したのもつかの間のこと。
ざわり……と、広場の入口がにわかに騒がしくなった。
駆け込んできたのは一人の警衛兵だ。
彼は一直線に、処刑台の近くに立っていた部隊長に駆け寄った。
隠しきれない警衛兵の動揺と部隊長の怪訝な顔。
犯罪履歴の列挙などとうの昔に中断され、広場全体の注目が移った、その一瞬の隙に。
――トンッ!
人群れの中から投げられた一本の短剣が、処刑台の柱に突き刺さった。
(……やっと来たか!)
素早く、剥き出しの刃に縄を滑らせる。
戒めはあっさりと切れ、フレイスは自由を取り戻した。
傍らの警衛兵が囚人の動きに気付き、「……あっ!」とでも言うように口を開く。
――が、遅い。
声が発せられるよりも早く、フレイスの足払いがその警衛兵の足元を掬った。
全て一呼吸にも満たない間の出来事だ。
鎧を着た者が檀上から転げ落ちる派手な音が、人々の目を処刑台の上へと引き戻した。
柱から引き抜かれる短剣。
檀上で身を翻し、切れた縄を振りほどく。
できるだけ派手に。
フレイスは短剣を逆手に不敵な笑みを浮かべた。
「《
「……何をッ! 盗賊風情が!」
槍を手に、警衛兵たちが一斉に突っ込んでくる。
しかし、自由の身となった盗賊がいつまでも同じ場所に留まっている理由が無かった。
槍の穂先をかわしざま、背中から落ちるように処刑台から身を投げ出す。
宙で体をひねり、足音も軽く石畳の上に着地した。
「逃がすなぁっ!」
一拍遅れて警衛兵の誰かが放った声が、広場に集った人々の混乱を招いた。
フレイスは迷わず人垣の中に飛び込んだ。
盗賊の行く手に居合わせた者が次々と悲鳴を上げて飛び退る。剥き出しの短剣が人を傷つけないように注意することだけは忘れない。スリの経験を活かせば、人がごった返す場所を駆け抜けるのは容易だ。
……一方で、むやみに人の群れを掻き分けて進もうとする警衛兵たちは、身動きが取れなくなり逃亡者の追跡もままならない。
(逃げ切れる!)
そう確信する。
広場の出口は近い。
不意に人群れが途切れた。
人垣を抜けたのだ――。
驚きに揺れる夜色の瞳。
退かれた身に引かれ、ふわりと動く月色の長いお下げ髪。
先ほどの直感を思い出す――「助けて」という、声を伴わない言葉が再びフレイスの頭をよぎった。
(助ける? 俺が?)
直感に対する困惑。
広場の喧騒と警衛兵の怒鳴り声が後から追いついてくる。
……早くしなければ、作ってもらった脱出路が無くなってしまう!
気づけば、目の前の少女の腕をつかんでいた。
ぴくりと震える細い手首の感触――深く意識する前に石畳を蹴って走り出す。
『女の子が人質に取られたぞ!』
――そんなざわめき声を背後に置き去りにして、幾数歩。
足首あたりにピリッとした微かな痛みを感じた。
走る速度をわずかに緩めて振り返ると、石畳の上には太い針が落ちていて……。
……針?
いや、考えている暇など無い。
「待てっ!」
警衛兵の声が追いすがる。
広場から大通りへと抜ける道はもう目の前だった……。
――こうして。
《闇夜の紅星》団の若き盗賊フレイスは、まんまと処刑台からの逃亡を果たした。
見知らぬ、月色の少女の手を引いて――。