第2話

第1章 《闇夜の紅星(カーバンクル)》団 -2


 大通りから脇道に折れ、入り組んだ下町の細い通路を駆け抜ける。
 ひと気の無い裏通りに差し掛かったところで、グンッと後ろ手が強く引かれた。

「……ッ!?」

 たたらを踏んで――ようやくフレイスは、自分が少女を連れていたことを思い出した。
 立ち止まって振り返ると、下を向いた少女が苦しそうに肩を上下させていた。
 その荒い呼吸の合間に、か細い声が混じる。

「……な、……て……」
「え?」

 途切れ途切れで、よく聞こえない。

 フレイスが少女の唇の動きを注視しようとした、その時。
 少女の顔がキッと正面に向けられた。
 月光色の髪の下で、月夜色の双眸(そうぼう)に、漆黒色の少年盗賊の姿が映り込む。

「放して……下さい!」
 凛(りん)とした声が耳を打った。

 腕二本分の距離を保ったまま、少女は静かにフレイスを睨み続け……、
「放して!!」
 語気を強めて、先ほどの言葉を繰り返した。

(……放す? 何を……?)

 ぼんやりと少女の言葉を反芻(はんすう)し――少女の細い手首をつかみ続けていることに気が付いた。
 もう一度少女の顔に目を戻せば、鋭い眼光を放つ瞳が心なしか涙ぐんでいるようにも見える。

「あー、悪い」
 何だか無性に申し訳ない気になって手を離す。
 少女は慌てた様子で手を引っ込めると、相対したまま、じりじりと後退した。
 その背はすぐに建物の壁に当たる。

「……私、お金なんて持っていませんから!
 身ぐるみ剥いでも何も出てこないし、ナイフで脅したって何の役にも立ちませんっ!」
「脅すって……」

 少女の警戒した視線を辿る。
 ほどなくして、その目は己が手に持った短剣に行き着いた。
 処刑台での一件からずっと握り続けていたのだ。
 凶器を持って薄暗い場所に人を連れ込んだのでは、誤解されても仕方がない。

 短剣を適当に腰のベルトの隙間に差し込む。
 剥き出しの刃が気になるが、もともと自分のものでは無いので納めるべき鞘が無いのだった。

「これでいいか?」
 両手を軽く広げて無害であることを示す。
 しかし、少女の警戒は一向に緩まなかった。

「私に何のご用ですか?」
「それは……、俺も知りたい」

 ……我ながら間抜けな回答だと、フレイスは思った。
 何故、逃走の邪魔にしかならない彼女を広場から連れ出したのか。
 自身の行動が信じられないのは事実だ。

 改めて、目の前の少女をじっくりと眺めた。
 月を思わせる輝く白金色の髪も、夜の静けさをたたえた薄藍色の瞳も、どちらもこの町では珍しい色だ。町の外から来たのだろうか。
 グロリア王国は広く、訳ありの人間が城下町であるグルスペンナに流れ込むことは、それなりによくあることだった。

 警戒心に彩られた夜色の瞳を見つめ返す。

「あんた、助けが欲しかったのか?」
「ッ!?」

 少女の肩が微かに跳ねた。
 瞳が揺れる。

「どうして……?」
「いや、なんとなく。そんな気がしたから――」

 ――助けを求められていると思ったから。
 だからあの時、思わず広場から連れ出してしまったのだ。まるで、豪邸の片隅に隠された宝飾品を奪い去る時のように。

 まだ自分の直感を疑っているフレイスに、動揺を納めた少女が告げる。

「たとえ、困った状況に陥っていたとしても。凶悪犯の助けを借りようとは思いません!」

 きっぱりと突きつけられる拒絶の言葉。

「凶悪犯、か」
 フレイスは小さく少女の言葉を繰り返した。
 一呼吸分の沈黙の後、ふと思いついて薄い笑みで応じてみる。

「もし、冤罪(えんざい)だったら?」
「冤罪……なの?」
 途端に、少女の瞳に心配の色が浮かんだ。

 ……意地悪く返しただけのつもりだったのだが。
 真面目に取られるとこちらが困る。

「おいおい、凶悪犯の言い分をすぐに本気にするか?
 正真正銘、俺は悪党だよ。安心しな」

「安心できるわけないじゃないですか!
 脱出おめでとうございます、極悪人さん!」

 心配顔から一転、少女は先ほどよりも強くフレイスを睨みつけてきた。
 彼女の中では随分と悪い評価に落ち着いてしまったらしい。

(まぁ、それが普通の反応だよな)
 少女の様子に、フレイスの苦笑いは深まった。

 きっとおそらく、フレイスと少女とでは、住む世界がそもそも違う。荒地の石と宝石箱の中の宝石は決して混ざりはしないのだ。接点など本来あり得ない。
 ……騒がれずに会話が成立しているのが不思議なくらいだ。

(……っと。のんびり話をしている場合じゃ無ェや)

 フレイスは来た道を指し示した。
「こっちに行けば、大通りに戻れる。
 行くアテが無いなら警衛隊に保護してもらうといい。
 俺が言うのも何だが、真っ当な人間にとっては頼りになる連中だ」

 そうしながら、自分は反対の方向へと体を向ける。

「追手が来る前に、俺はもう行くぜ」

 じゃあな――そう言いかけて、途中で止めた。
 いや、止めざるを得なかった。

 振り返る。
 少女がフレイスの服の裾をつかんでいた。

「あ……」
 とは、少女の声だ。
 自分の行動が意外だったのか、彼女は戸惑ったように視線を彷徨わせる。
 しかし、つかんだ服の裾を離そうとはしなかった。

「さっき『放せ、あっちに行け』って言ってたのは、どこの誰だっけ?」
「あっちに行けとまでは……言っていません」
「そうだったかな」

 フレイスは再び、少女に向き直った。
 ……一度手を取ってしまったからには、乗りかかった舟だ。
 もしかすると彼女も似たような心境なのかも知れない。

 ようやく服の裾から手を離した少女へと、短く問う。
「名前は?」
「……リューネ。ダートゥム神殿のリューネです」
「俺は、《闇夜の紅星(カーバンクル)》の――」

 そこまで言った時だった。
 不意に片足がしびれたかと思うと、体の自由が利かなくなった。
 立っていることができなくなって膝(ひざ)をつく。

「な、なんだ……!?」
 しびれは徐々に、足から全身へと広がっていった。
 周囲の音が遠のき、視界がかすんでゆく……。

 少女――リューネがフレイスに合わせてかがみ込み、青ざめた顔で何かを言った。
 どうやらフレイスを心配してくれているようだが、大丈夫だと応えることができない。
 息をするのも精一杯で、声を発する余裕など、どこにも残されていなかった。

(一体どうして……)

 ……神経毒?
 まさかと思いつつも、ひとつだけ心当たりがあった。

(あの針か!)

 広場で初めてリューネと会った時の出来事だ。
 あの時、フレイスの足首を傷つけた太い針――あそこに毒が塗ってあったのだとすれば。

(……でも誰が? 警衛兵の奴らの手口じゃ無いのは確かだが……)

 思考すらも鈍り始めている。
 考えるのはとにかく後回しだ。
 体を支えている腕の感覚が無い。地面に倒れ込むのも時間の問題だろうか。

 突然、リューネがはじかれたように立ち上がる。
 かろうじて動く目で、彼女の視線を追うと――。

 暗い灰色の外衣にすっぽりと身を包んだ人物が三人、ゆっくりとこちらに近づいてくるところだった。
 亡霊じみた動きの見えない歩き方。
 顔は頭巾に覆われていて判別できず、足首までを隠す長い外衣のせいで体型などもはっきりしないが、背丈は一般的な大人のもの……だろう。

 フレイスが見たのはそこまでだった。
 目の前が真っ黒になり、周囲の音が途切れた。

 … … …

「フレイス!」

 急に耳に飛び込んできた声。
 じわじわと視界から闇が引いていき、ほどなくして、完全に色を取り戻した。

 フレイスはようやく、自分が複数の目に見つめられていることに気がついた。
 全部で四人分――いずれも《闇夜の紅星》の面々のものだ。
 全員、フレイスと同じ年頃の少年ばかりである。

 金髪に明るいとび色の目のニオが言う。
「フレイス。こんなところで寝っ転がってちゃ、警衛兵に捕まえて下さいって言ってるようなもんだよ」

 ニオに手を引かれて起き上がった。
 周りを囲んでいる四人の少年を順に見る。

 最年少のニオ、双子のロッソとブレン、変装の名人ラリード……一人足りない。

 ラリードの濃緑色の目を見上げた。
「グレイブスは?」

「団長殿は、別行動だ」と、ラリード。
 茶髪を片手でかき回し、

「君の救出を指示した後、一人でふらっとね。今はどこに居るんだか。
 ……それより、立てるかい?」
「ああ……」

 まだ若干しびれが残っているものの、体は動くようになっている。
 フレイスは壁を支えに立ち上がった。
 腰のベルトに差したままだった短剣を抜いて、それを双子の片割れに手渡す。

「ロッソ。これ、お前のだろ。助かったよ」
「おう!」

 残ったしびれを払うように頭を振る。
 思い出すのは――灰色の三人組。

 不思議なのはフレイスが通路の真ん中ではなく建物の壁際に転がっていたことと、何故だか体が痛むことだった。

(あいつら……!
 さては、俺を蹴って行きやがったな)

 悔しさが表に出たのだろう、ロッソとブレンがそろいの黒目黒髪を見合わせて、ロッソが先に口を開いた。

「何があった?」
「……」

 フレイスが答える前に、ブレンが問いを重ねる。

「あの女にやられたのか?」
「……ッ!」

 失念していた。
 慌てて見回すが、近くには、月色の少女リューネの姿は無かった。

 助けを必要としていたリューネと、タイミング良く現れた灰色の三人組。
 ……無関係とは思えない。
 おそらく、広場でフレイスに毒針を放ったのも、あの三人組だ。

(リューネは、あいつらに追われていたのか?)

 フレイスは唇をかんだ。
 盗賊ともあろう者が、一度手中に収めたものを――抵抗する間も無く、まんまと目の前で横取りされたのだ。

 ……上等じゃないか!

「フレイス?」
 仲間たちの問いかけも耳に入らないほど、フレイスは強い憤りを感じていた。

 このまま黙って引き下がるようでは、《闇夜の紅星(カーバンクル)》は名乗れない。

 闇夜でも燦然(さんぜん)と輝く星のごとく、
 時を経てなお語り継がれるような、
 知らぬ者が居ない大盗賊団となる――その理念を掲げているからには。

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