扉が軋んだ音を立てると同時に、フレイスとニオは柱の後ろに身を隠した。
ロウソクの火を吹き消す。
間一髪…といったところだろうか。ほとんど間を空けずに複数の足音が神殿に踏み込んで来た。
そっと様子を窺い見る。
入ってきた者たちは灯りを持っていなかった。
明かりとりの窓から入る月の光で、ぼんやりと人影が見える程度だ。
わずかに鎧の触れ合う音が聴こえる……。
(鎧……警衛兵か?)
月が昇るような時間帯になってから、何故、灯りも持たずにこんな場所へ?
……そこまで考えて、ようやく、フレイスは己の失念に思い至った。
(ちくしょう、そういう事か!)
すっかり忘れていた。
神殿の中を探索した際に抱いた違和感――
本当に警衛兵たちは神殿の内部を調べたのか、という疑問を。
村に居た警衛隊は、最初から、事件の捜査などしていなかったに違いない。
早い話が、彼らもグルだったのだ!
フレイスの推測を裏付けるように、警衛兵たちが声をひそめて話し出す。
「……急げよ。早くしないと、本物の警衛隊が来てしまうからな……」
「……なに、恐れることはないさ。
警衛隊ごとき、万一の場合は黙らせればいい……」
「……そうならないようにするのも、我らの務めということを忘れるな。事をあまり大きくするなとのご命令だからな。
さあ、最後の仕上げだ。適度に神殿を荒らしたら、村まで運び出した荷物を持って撤収だ!」
警衛兵(?)たちが神殿内のあちらこちらに散っていく。
ほどなくして、物を動かしたり、倒したりする音が聞こえ始めた。
(なるほどな。事件の痕跡(こんせき)は、これから作るってことか)
事件があったにしては綺麗すぎる神殿内を、それらしく乱れた様子にするのが、彼らの『最後の仕上げ』とやららしい。
呆れるフレイスを、ニオがつつく。
声をひそめて、
「ねえ、フレイス。さっきの声、キエト村で話した警衛隊のおじさんだよ」
「やっぱりそうか。なあ、ニオ。どうやら俺たちは、悪事の真っ最中を目にしているみたいだぜ。
神官たちが姿を消してから、この『仕上げ』まで……こんな夜分に、村人の目をごまかすようにやってるんだ、良いことしているはずがない」
「ボクたちが、普段、悪いことしてるみたいにね」
暗闇ごしに、ニオが笑う気配が伝わってくる。
フレイスは笑い返した。
「ばーか、一緒にするなよ。俺たち盗賊なら、もっと上手くやるさ」
そして、相談を持ち掛ける。
「で、どうするニオ? 今なら奴らも作業に夢中だから、気づかれずに神殿を抜け出すなら、絶好の機会なわけだが」
「フレイスは、どうせ、ただで抜け出す気はないんでしょ? ボクも手伝ってあげるよ」
「一人前みたいなこと言いやがって」
弟分を軽くこづいてから、どうしたものかと周囲を見回す。
暗い神殿の中、明り取りの窓から入った星の光で
ぼんやりと白い姿を浮かび上がらせている女神像が目についた。
「それじゃあ……
女神様に、ちょいと盗みを手伝ってもらおうか」
そう呟いて、盗賊フレイスはニヤリと笑った。
* * *
神殿内には、礼拝所の他に、大小いくつもの部屋がある。
警衛隊の鎧を身に着けて警衛兵に成りすました者たちは、それらの部屋ごとに散らばって、黙々と自分の仕事――部屋の中を適度に荒らすこと――をこなしていた。
灯りはつけておらず、視界は、窓から入ってくる月明りだけが頼りだ。
柱の影や物影がなんとか判別できるくらいの光の量である。
夜が深まってゆく中、神殿の部屋のひとつ……
神官たちが寝泊まりする大部屋で、『それ』は起こった。
「……何者じゃ……」
と、誰かがささやく声が発せられたのが、始まりだった。
大部屋で作業をしていたのは一人の男だけで、必然的に、彼だけがその声を耳にすることになった。
ささやき声を聞きとがめた男の作業の手が止まる。
彼の仲間が他の部屋を荒らしている音が遠くから聞こえてくるが、彼自身の周囲は物音ひとつしない。
しばらく耳をそばだてていた男は、空耳だったのだろうと結論づけて、また作業を再開することにした。
木の椅子を床に転がそうとしたところで、
「何者じゃ……。我が神殿を荒らすのは何者じゃ……」
先ほどよりも強くなったささやき声が耳に届いた。
女のものとも子どものものともつかない高い声だ。
「誰だ!?」
男は声の主を探して部屋の中を見回した。
月明かりがぼんやりと照らし出す室内に、男の他に人の姿は見られない。
――否、いつの間にか、月の光がほとんど届かない暗がりに、白い人影のようなものが立っていた。
白い人影が、男に向かってささやく。
「我が神殿を荒らす不届き者めが……」
「ふざけるな。そこで一体何を――」
最初、男は人影の正体を、仲間のいたずらだと思った。
しかし、彼はすぐに、仕事中にそのようないたずらをする者が仲間内にはいないことを思い出した。
「我が神殿を荒らすのは何者じゃと聞いている……」
人影が繰り返しささやく声。
男はつばを飲み込んだ。
「『我が』神殿……!?」
男の脳裏で、白い人影に、神殿の礼拝所にすえられた白い女神像の姿が重なった。
ささやき声が心持ち大きくなる。
「女神のいかりを受けたいか。その《石》、粉々に砕いてやろうか」
「そ、それだけはご勘弁を! 私は主からの命令に従っているまでで……!」
「だったら、その主の《石》もろとも、お前たちの《石》を砕いてやるぞぉ!」
白い人影がゆらりと動いた瞬間、
――ゴトン!
と、男の背後で物音が鳴った。
「ひいっ!!」
飛び上がって振り向くと、ひとりでに倒れたとは思えない木の椅子が、床の上に転がっていた。
「な、何だ……?」
もう一度、白い人影に目を移そうとして……男は、再び驚くことになる。
そこには暗がりがあるばかりで、白い人影はすっかり消え失せていた……。
* * *
「大変だ! 女神が、女神が現れた!」
「落ち着け! どうしたと言うんだ!?」
「急いで王都に帰還して、主に儀式の中止を上申するべきだ!
でないと、我々だけでなく主の《石》を砕くと、女神が――!!」
取り乱した男が、仲間を巻き込んでわめいている。
その騒ぎを、二人の少年盗賊は窓の外から傍聴していた。
ニオが楽しそうに言う。
「上手くいったね! どう? ボクの演技もたいしたものだと思わない?」
「こっちは冷や冷やモノだったけどな」
と、フレイス。
「あんな言葉づかいの女神がいるもんか。
アジトに帰ったら、ラリードに演技の仕方を一から教えてもらえよな」
「ええー」
「それより、連中の会話をしっかり盗み聞きしておけよ。
俺たちで引き出した、大事な大事な情報なんだからな」
そうしてニオに盗み聞きに専念させておいて、フレイス自身はというと、
手に持った小物入れの中身を物色しているのだった。
実はこの小物入れ、先ほど手に入れたばかりの代物(しろもの)で、
元の持ち主は何を隠そう、神殿の中で騒ぎの中心となっている男だ。
カラクリは――
ベッドから拝借したシーツを頭から被ったニオが女神のふりをして男を脅かしている間に、忍び寄ったフレイスが、男が身に付けていた小物入れを盗み取る。
続いてわざと大きな物音を立てて男の注意を引き付け、今度はその隙にニオが身を隠す――といった具合だ。
女神の出現をでっち上げた二人は、騒ぎに乗じて神殿を脱出していた。
そして現在、ついでとばかりに情報を頂いている最中というわけである。
(警衛兵に成りすましているあいつらの、
本当の正体くらいは暴いておきたいからな)
盗み取った小物入れを、月明かりの下、念入りに調べる。
手触りから、小物入れがそれなりに高級な皮の素材でできていることがわかった。
小物入れの中には、細々とした物に混じって、模様が刻まれた金属製のメダルが入っていた。
妙にそれが目についたので、フレイスはメダルを手に取ってみた。
「何だ、これ?」
アジトに持ち帰ってじっくりと調べれば、警衛兵に扮した男たちの正体がわかるかも知れない。
フレイスはメダルだけをベルトの隙間に仕舞い込むと、用済みとなった小物入れを地面に置いた。
神殿内の騒ぎは収まりつつあった。
ニオに様子をたずねる。
「どうだ、ニオ? 何かつかめたか?」
「うーん……。王都で何かの儀式をするつもりだっていうのはわかったんだけど。昼間、キエト村で運んでいた荷物は、儀式に使うつもりで神殿から運び出した道具だったみたい」
「他には?」
「せーんぜん駄目。
それくらいで、あとは面白そうなことは何もしゃべってくれなかったよ」
「そうか」
もう少し突っ込んで調べてみたい気持ちはあったが、フレイスは深入りしないことに決めた。
仲間が全員そろっているのならともかく、ここにはフレイスとニオの二人しかいないのだ……。
「それじゃ、さっさとアジトに帰ろうぜ」
「のこのこ帰っても大丈夫かなぁ? フレイス、指名手配されてるんじゃないの?」
ニオはニオで、別の心配をしているらしい。
弟分に言われて改めて、フレイスは己が脱走中の囚人であることを思い出した。
若干ひるみかけたが、
「二回もつかまるようなヘマはしないって」
弟分の手前、強がってみせる。
それに、やはり王都で何かが行われようとしているとわかった今、
離れた場所でじっとしていられる気分ではなかった。
白い女神の神殿で起こった、神官たちの集団失踪事件。
そこに関わっている、警衛隊に扮した男たち。
王都で行われようとしている『儀式』。
灰色の衣と、何かを知っているらしい少女リューネの行方……。
二人の盗賊は、急いで、王都グルスペンナへと取って返すことにした。