神殿中の人間が一夜にして消えたという場所。
白い石を積み上げて造られた神殿は、陽の沈みかけた空の下、森に半ば埋もれるようにしてひっそりと建っていた。
「……本当に入るの?」
ニオの念押しに、フレイスは頷く。
「当ったり前。ここまで来て、何も調べずに帰れるわけないだろ」
言い切ったものの、人の気配が全く感じられない神殿はどこか不気味だ。
閉じられた扉の隙間から、冷え冷えとした空気が漏れ出ている。
「行こう。早くしないと、陽が暮れちまう」
フレイスはニオを促して、扉に手をかけた。
鍵はかかっていなかった。
重い扉を押し開けると、ぽっかりと空いた暗い空間がフレイスたちを出迎えた。
一歩、前へと進む。
足を踏み入れると、天井付近に設けられた明かりとりの窓から差し込んだ夕日が、神殿の内部をぼんやりとした橙色に染めていた。
薄暗がりに目が慣れ、次第に物の形がはっきりとしてくる。
フレイスが立っているのは広々とした大きな礼拝所の入口だった。
凝った意匠の柱が立ち並び、高い所にある天井を支えている。
礼拝所の奥には白い女神像が祭られていた。
「グルスペンナの広場の像と同じ女神様かな?」
と、ニオ。
女神像に関してあまり良ろしくない思い出が最近できてしまったフレイスは、苦い面持ちで像を眺めた。
「富と財宝の女神リシェスだよ。盗賊なら覚えとけ」
ここグロリア王国では、最高神を頂点とする多神教の神々を信仰している。その中でも一般的に親しまれているのが、最高神の宝物庫の番人とされる女神リシェスだ。
富の守護者にあやかりたいという、生活の安定を約束する象徴としてのリシェス信仰だが、広く信仰される理由はもう一つある。
それは、神話の最後、最初の人間たちの誕生物語に関係していた――。
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その昔、最高神は数多(あまた)の宝石を持っていたという。
神の手からこぼれ落ちた宝石は、遙かな天の高みから大地にぶつかり、細かく砕け散った。
そして、その欠片の一つ一つが、人間の祖となった。
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「――人の中には今も、その原石が眠っている。
だから、宝石を管理するリシェスが人間のことも護ってくれる、と。
そういう理屈だな」
小さい頃に人から教えてもらった神話を記憶の中から引っ張り出す。
元となった原石の尊さが家系の価値であり、身分の線引きだといわれていた。
王や貴族の《石》、市民の《石》、そして自分たちの《石》。
生まれながらにして得るそれらは決して取り換えることができない。
グルスペンナの一角が《くず石(グラベル)》地区と呼ばれる所以(ゆえん)だ。
「『宝石』じゃない俺たちは、リシェスには護ってもらえないみたいだけどな」
フレイスは女神像の前で警衛兵に捕まった過去を振り返りながら、わずかに肩をすくめてみせた。
* * *
フレイスとニオは女神像の前を離れ、神殿の中をくまなく調べることにした。
陽が完全に沈んでしまう前に明かりを確保する。
幸い、すぐに燭台(しょくだい)が見つかった。
神殿にはいくつも小部屋があり、食堂や書庫、神官たちが寝泊まりする部屋に分かれていた。
揺らめくロウソクの火に照らし出されたベッドの数を見て、ニオが言う。
「いっぱい人が居たんだね。全員を誘拐しようと思ったら、大変だよ」
「『大変』で済めば、良い方だろうな。そういうのは『無理』もしくは『無謀』って言うんだよ」
同じくベッドを数えてみて、フレイスは呆れかえった。
数十人は居たようだ。
それを一晩で全員消したとなるとおおよそ人間業ではない。
「どう、フレイス?
何か事件に関係ありそうなものは見つかった?」
「何も無い」
そう、『何も無』かった。何も無さ過ぎる。
神殿の中は綺麗に整っていて、それが逆に不自然だ。
「何で争った跡が無いんだ?」
「事件の調査に来た警護隊が、片付けていったんじゃないかな」
「そんなバカな」
神殿の近く――キエト村に居た警衛兵たちの姿を思い出す。
(そもそも、あいつら、この神殿をちゃんと調べたのか?)
改めて神殿の中を見てみれば、より一層、奇妙に映った。
……警衛隊が立ち入り調査をした痕跡(こんせき)すら無いなんて、どう考えてもおかしい。
「ニオ。キエト村に居た警衛隊の奴らが何をしていたのか、お前、見たか?」
「うん。ええっと……
村の人への事件の聞き込みと、それから、木箱を運んでいたよ」
「木箱?」
「事件に関係ありそうな物を、持って帰って調べるんだって言ってたけど」
「ふーん」
一応、ちゃんと捜査をしているというわけか。
それでも何か腑(ふ)に落ちず、違和感を消化しきれない。
考え込んでいる間に、ニオはさっさと次の部屋に向かったらしい。
ほどなくして、通路の向こうからフレイスを呼ぶ声が聞こえた。
「こっち! 女の人の部屋を見つけたよ!」
行ってみると、小部屋の前で待っていたニオが、手に持っていた物をフレイスに差し出した。
女性向けの髪飾りだ。
フレイスの頭を、グルスペンナで会った少女・リューネの姿がよぎった。
『ダートゥム神殿のリューネ』と名乗った彼女は、きっと、この神殿のどこかに住んでいたのだろう。
だとすれば、その部屋は?
「調べてみるか……」
部屋をのぞいて、フレイスは「あっ」と声を上げることになった。
壁に一着、暗い色合いの外衣が掛けられている。
照明がロウソクの明かりのみなので色は定かではないが、おそらくこれは――灰色だ。
「これ! あいつらが来ていたものと同じ外衣じゃ!?」
近寄って手に取ると、まだ新しく、一度も着られていない物のようだった。
「フレイス。『あいつら』って、
女の子を追いかけていたっていう、怪しい奴らのこと?」
ニオの問いに、フレイスは頷いて答えた。
グルスペンナの路地裏で見た姿は鮮明に覚えている。
「ああ、間違いない。
灰色の男たちが着ていた外衣と、そっくり同じ作りだ」
灰色の服などありふれている、と言われればそれまでだが。
わずかな情報のみを頼りに訪れた場所で見つけたからには、何か意味があるはずだ。
フレイスは部屋の中を見回した。
枕のずれたベッドが目に映る。
きちんとたたまれた毛布と見比べ、深く考えずに枕に手をかけた。
「何だこれ」
枕があった場所に、小さく折りたたまれた紙があった。
手に取って広げてみると、慌てて書いたような筆跡の文字が並んでいる。
ニオがのぞきこんで、
「読める?」
「読めねー」
残念ながら文字は得意ではない。
ロウソクの明かりに浮かんだ文章を、フレイスもニオも読むことができなかった。
(ブレンか、ひょっとしたらラリードが読めるだろ)
紙を元通り折りたたんで、ベルトと服のすき間に差し込む。
そうしてから、再度、壁にかかった灰色の外衣に目をやった。
(どうして『灰色の外衣』が、この神殿に?)
戸惑いを覚えた。
思い描いていた何かが覆されるような感覚だ。
「なぁ、ニオ。
被害者の家で、被害者の持ち物の中に悪い奴の証が混じっているのを見つけたら、お前、どう思う?」
「わけがわかんない、と思う」
素直な答え。
「だよな」
全くもってわけがわからない。その通りだ。
追手側の象徴のように思っていた灰色の外衣を見つけた事。
わけがわからないと感じるのは、勝手に思い込んでいた『関係性』が揺らいだからに他ならない。
(リューネは、『誰』に追いかけられていたんだ?)
他の神官たちに事件の予兆を告げず、キエト村に助けを求めることもせず、一人、近いとはいえ距離のあるグルスペンナまで……。
灰色の男たちに追いかけられて。
「――ッ!」
改めて部屋の様子に目を向ける。
綺麗過ぎる他の部屋と比べ、この部屋だけは『慌てて身支度を整えて出て行った』ような若干の乱れがあった。
(もしかしたら、リューネは神官たちに追いかけられて)
神殿の空気が不気味に思えてくる。
フレイスは部屋を出ると、足早に、今まで見てきた他の部屋を再び見て回った。
……やはりと言うべきか、何も無かった。
神殿の人間が普段何をしていたか分かるようなものは、何一つ。
* * *
出入り口のある礼拝所へと戻ってきたフレイスは、白いリシェス像の前で足を止めた。
「神官たちが自分の足で神殿を出て行ったとしたら。
何日かに分けて、数人ずつ夜に紛れて抜け出せば、村人に気付かれることも無いんじゃないか」
行方不明事件も『神官たちの仕業』だとすれば、不可解に思えた事件にも納得がいく。
少人数になっても素知らぬ顔で神殿の機能を維持していれば、村人だって気付かないだろう。ギリギリまで残っていた神官たちが居なくなって初めて、周囲は神殿が無人になったことを知る。
「でも、そんなことをする理由がわからないよ」
ニオに突っ込まれ、途端に行き詰った。
そもそも、神官たちが故意に出て行ったのだとしたら、理由がわかるような物を残していくとも思えない。
そして、フレイスは一つ失念をしていた。
そのことに気付いたのは、神殿の扉が開いてからだった……。